先週の日曜日に久しぶりに坐禅会に行って来ました。
かなり久しぶりの坐禅会で足がしびれてアイタタでしたが気持ち良かったです。
朝6時30分から始まり2時間程坐禅を組みます。
ちょっと前は御老人ばかりでしたが最近は若人の姿もチラホラ。
よいこと。よいこと。
お寺の広い本堂はいつものように静かで澄んだ空気がゆっくり流れてました。
何も考えず無心になり(ムリだけど(笑))呼吸に意識をおく練習。集中力です。
ここの住職さんは「ゆっくり腹式呼吸をしなさい」と言うのだけれど、私が大好きな東大卒の若いお坊さん
小池龍之介さまは「普段と同じ呼吸に意識を集中させて」と言う。
腹式呼吸は意識的にしている呼吸だから人の意識はそこに行きやすいけど、”普段の呼吸は”そこから意識が離れやすいので断然難しいのです。
龍之介さまの意図しておることは、人は悲しんだり喜んだり怒ったりと刺激が大好物で、目や耳から入ってくる情報を脳内で刺激的に編集して煩悩をつくってしまう。。。
例えば、坐禅中に音がする→なんの音だろ?→うるさいな〜.....と人は思考が連鎖してしまいがち。
まず、音がすると人の意識は呼吸から離れ、その音という刺激に意識が行ってしまう。
そしたら、「音がする」で止める。ただ、”実際の情報”だけに止まる。
それが嫌な音だと編集をしない。感情で判断しない。あるがままを見る。
そうしないと「うるさい」というネガティブな感情は怒りの煩悩になってしまうのであ〜る。
(※ 逆に「気持ちいい音」と編集した場合は、その気持ち良さをまた味わいたくなり今度は”欲の煩悩”を作ってしまうのです。)
そして、また呼吸に意識を戻す。
そうすることで、あっちこっちに散るココロと脳みそをニュートラルに保つのです。
集中力のお稽古と、脳内編集して煩悩を作らないお稽古なのであります。
。。。とは言っても、人間は感情ある生き物。
感情をムシすると云うことではなくて、ありのままを受け入れるということです。
脳内編集をしてトラウマ(煩悩)を作り、脳内ストーリーが出来上がり、まだ起こっても無い未来なのに「またこうなる」と決めつけたり、「自分って、あの人ってこうだ」って思い込んだりして可能性を小さくしてしまったのではチッコイ世界で終わってしまいますよね。
『諸行無常』って禅語がありますが、これは万事万物は永遠ではなく常に変化しており、精神の動きも、時や場所、心境に応じて変わるもので絶対的ではなく、それを知ると執着から脱し精神の自由を得られる...みたいなことです。
なので、ニュートラルな状態でいると可能性が広がるし、自分自身も楽にいられますよね。
。。。と、わたくしは毎日の刺激的な事柄に惑わされず、右往左往、一喜一憂しないどっしりとした強い精神を養うべく日々精進しておるのです。
な〜んんて、ぜんぜん右往左往、一喜一憂、惑いまくり、喜怒哀楽祭りであります。
が、そんな精神力を目指してより良い人生を歩めたらいいな〜とね。。。
そして、午前中の空いた時間にヨガに行きました。
またこれも久しぶりのヨガ。半年ぶりくらいかな。。。いやもっとかな。。。
この渋谷にあるヨガスタジオ「Yoga of Life」は、私を暗黒時代から救ってくれた恩師と出逢ったところ。 暗黒時代の話しは長くなるのでまたこんど。
この救世主masa先生は去年少しだけ
キノラウでもクラスをしてくれてましたが、流石私が惚れ込んだだけある人でちょ〜売れっ子になって今ではヨガ界のスーパースターです。
久しぶりのヨガはやっぱり気持ち良くて、ココロもカラダも解放、リラックス。
なんか、知らないうちに身体だけでなく頭も心もガチンコチンになっとりました。
眉間のシワがとれ、奥歯の噛み締めがゆるみ、肩の力が抜け、みぞおちの緊張が解けて体重が軽くなった気がします。
ホントに軽くなってればいいけど。。。
しばらく、日々の生活に追われ、体も頭も心もお休みなくフル回転でピンッと張りつめっぱなしで緊張してた糸が緩んでリセットできました。
こうやってたまに禅体験していくことで気付くことや、忘れていたことを思い出して軌道修正できるので、私には坐禅会とヨガは欠かせないです。
。。。と、なんか今回はめずらしくマジメに語ってしまいました。
たまにはこんな日も。。。
このひとはいつもゆるみっぱなしです。